喫茶さつ樹

後天性精神障害者の生きた記録

誰かのためより自分のためにやるべきことってなんだ

こんばんはうつ病アル中です。

 

うつ病は治らないので治ると思い込んでる一般人によかったらいろんな人にこのブログのリンクを送り付けて嫌な気持ちにさせてあげて下い。治りません心の風邪ではなく心のがんといっても過言じゃないです、だから気軽に治るとかほざくやつを呪う会を設立しそうなので資金ください。九億円くらいでできるんでお願いします。

 

で、まあメンヘラって自己犠牲してなんか生きてるじゃん(偏見)まあ誰かのために生きて誰かに支えてもらうことで人生って成り立つものだけど今自分が生きていてこれは自分のためになっているってことを増やして生きていかないとどうにもならん気がしてんですよね。

 

人を助けることが好きな場合助けるだけで満足をするんじゃなくて助けたことによって自分の心の変化やそれによって学んだことが理解できるならすごくいいことだけれどそこにたどり着けずに摩耗して誰かのためにならないと自分には価値がないと思っちゃうタイプは結構やばいと思ってます。それなくなったら空っぽの人間になっちゃうじゃん。うちのばーちゃんがいい例なんだけどおじいちゃんが死んでからすっからかんになって孫から見ても惨めだなって思ったんだよね、そこだけを見ていて周りの世界が見えずに一個なくなったらすべてが消えてしまって生きがいをなくして虚無になる人、

 

だから誰かのためにこれをやる、ではなくて自分の成長にもなるし人も助けれるからこれをやる、って考え方を身に着けないとこれから生きるのにすごい苦労するし誰かに寄り添うことがある場合もその気持ちがあるのとないのでは寄り添う人の心を動かすきっかけになるかもしれないじゃん、

 

とはいっても毎日摩耗して余裕がなくなったらそんなこと判断したり自分と向き合う力が衰えてしまうと無理になっちゃうんだよね。その先を考えられなくなって結局誰かのためにこれこれをしたのにダメだった!クソだ!になってしまう人が多い

 

そういう人に共通しているなって思うのが判断するのがヤケクソ気味で後戻りする大変さを頭に入れないまま選択して後悔して次の道の分岐点を見失ってしまうのをよく観測します。

 

でも、判断する時間すらもらえない環境で生きてきてそうなってしまった人もいるから社会ってこえーなーってなってそういう人が苦労して頑張ってんのにおれは布団でおしりカキカキしながらこれ書いてる。寝たきりでおれる状態にも感謝しないといけないからそれを経験すると鬱は甘えって言われても仕方がない気がする、寝てるだけだもん。でもこれは経験した人しか言うなよ~

 

冒頭でも書いた通り鬱は治らんし遺伝もするって死んだおじいちゃんが言ってた

 

まとめるとメンヘラは子孫残すな!終わり!おれはメンヘラ末裔としてたくましく梅田の地下で乞食飲酒してると思います。探さないで臭い。