喫茶さつ樹

後天性精神障害者の生きた記録

わからないがわからない。それを理解する。1

先天性の障害についていったん思ったことをノートに書こうと思ってたけど字が汚いのと打ち込んだほうが早いので打ち込みます

 

認知の歪みで何が正しいか、何を言っているのかの判断ができない、字が書けない、絵を描いても描いた後にこれは何だろうと問いかけても答えることができない。

 

まず文字の認識ができないことについて自分の中で考えたが生まれて初めて外国の言葉や日本語でもいいけど難しい言葉を聞いた時って理解が追い付かないと思うんですよね、文字の形が違う、なんて言っているかわからないって思った人がほとんどだと思うんです。だって知らんから、

 

文字って線と点でできてると思うんですがどの言葉も線と点の集合体で作られててその順番や形でどういう意味かを理解するわけなんですけどまずひらがなが認識できない子は

 

 

この一文字がわかりません。

 

まず縦と横に線がある、それは数字の1か小文字のlか、マイナスの記号か?それが合わさっているから十って見えるしノートの向きを変えれば掛け算の×とバツ印、大文字や小文字のxにも見えるわけ

 

さらに三画目のぐるっと回るのなんか意味わかんないと思うんですよね。縦と横だけじゃなくて斜めに回転している、回転も向きを変えながら書くことで直線のように書くこともできると考えてます。

 

じゃあその

のような処理が何回も斜めで横で直線で、の処理がひらがなに漢字、はたまた算数の記号、外国語かもしれないと思うことが何回も続くとめっちゃ疲れません?

 

それを連続でしてしまうことで脳が疲れて処理ができない状態になると思います。

 

それを絵に例えるともしかしたらこの線の集まりは文字かもしれないと思っちゃうこともあると思うんですよね。そうしたら自分の描いた絵も脳みそが処理できずにこれが何かわからないって状態になるのかなって考えてます。

 

これは何を描いたのか聞いてもわからない、首をかしげる、言葉に表すこともできないくらいぐったりする。

 

これはあくまで個人の考えであってるかわからないです。僕もわからないけど文字にできるので残しておけば何かの参考になるかもしれないので記録として残します。

 

また、ほかの感情も脳の処理が一般的とは言いたくないが処理の方法が違うようで例えるならツンデレですかね。相手は嫌がっているが本当はうれしい気持ちを隠して、本当は好意を持っているがそれを知られるのが恥ずかしいので嫌だという気持ちでフィルターをかけてごまかしてる、

 

これ相当脳の処理求められるんですよね。さっき書いた処理の仕方で一個一個考えてたらパニックですよ。嫌なのにうれしいってバカなんじゃねえのかって、その気持ちにすら処理がまた一個一個あって、、、、、、を考えると人の気持ちが理解できないのってなんとなくわかるんじゃないのかなと思います、自分的にはそう思いました。

 

そういった人が色々いる中で協調性とかわかんないですよね、どうなってんだよ頭おかしいのかよってなる、俺ならなりそう、なってたわ

 

そういうもう脳の構造が違うことに対してできることはあるのだろうかと考えたが、正直無理だと思う。そんなこと出来てたら世界平和は約束されみんな笑顔で困りごとのないきれいな世界しかない。

 

だが現実はどうだろうか?結局個性だのなんだの言っといて多数決でものが決まる時代で文字の認識ができません。意思疎通が難しいです。その人の意見を取り入れても周りは理解せず突き放すよね。だから障害って言葉があるわけでそういう人にできる意思疎通の方法も個人によって違って何かができて褒められても嬉しくない人もいる、意思疎通もできない、言葉がわからない、文字も感情もうまく表現できない。そんな人が優先されるほど世の中って豊かじゃないんですよね。出来損ないの刻印押されてなりたくない生まれたくもない、生まれた自覚のない人に意思疎通するためには様々な視野や価値観、認知機能を持った人が周りに必要。明らかに非効率だと思う。これを何かしらの方法で僕個人一人だけでいいから生まれながらに困った人を一瞬でも助けれるそういう心を持ちたくて本読んで途中だけど考えを書きなぐった。

 

またほかのこと思ったりしたら書き残して、自分自身の教科書もどきみたいな感じで理解の幅が増えていけばいいなと思う。頑張れ俺